本尊 阿弥陀如来像
浄土真宗・真宗大谷派お東の龍善寺
上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、新宿区の文化財に
江戸時代になり、三河から江戸に出て来た方々から、その上宮寺の本尊をぜひ江戸でもご開 帳してほしいという声に応えて、その本尊をご開帳する寺として当寺は建立されました。本尊はやがて上宮寺に戻ることになる訳ですが、代わりに当寺の本尊として上宮寺より移した阿弥陀如来の立像は、800年前の鎌倉時代の作と言われ、新宿区の文化財となっております。
「細かく刻まれた頭部の螺髪(らはつ)、伏し目がちながら上品で優しさの漂う表情、丸くなだらかな肩と腰の高い胴体、彫りの浅い流麗な衣文線等の特徴から、平安時代後期のいわゆる定朝(じょうちょう)様式(平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像の作者として知られる仏師定朝の様式)に連なる優品であると考えられ、(新宿)区内で現在確認されている中では最古のものである。」(新宿区教育委員会「新宿文化財ガイド」より抜粋)
胎内仏・聖徳太子像
一木造、彫眼、彩色仕上げで、髪をみずらに結い、両手で柄香炉を捧げ持つ孝養太子像(太子16歳のときに父用命天皇を看病する姿をあらわす)です。室町時代の作と思われ ます。
元々は、当時の親寺である三河(現在の愛知県岡崎市)の上宮寺本尊の江戸でのご開帳が終わり、親寺に本尊を返す際に本尊の中から胎内仏として発見されたものです。上記の当寺本尊とともに、江戸時代の大火や、災をくぐり抜けて現在に至っております。また、親寺上宮寺の本尊は、昭和63年の上宮寺本堂焼失の際に共に焼失しており、当寺に有ったこの胎内仏だけが残ったことになります。