浄土真宗について

浄土真宗・真宗大谷派お東の龍善寺

浄土真宗は、鎌倉時代に親鸞聖人によって開かれました。普通に生活するわれわれが、普通に生活しながら救われる道(=念仏の道)を説かれました。
浄土真宗の救いは、自分からお願いして救ってもらうものではありません。
すでに、私たちの所に、阿弥陀仏の救いは届いているのだと思います。
後は、そのことに私が気付けるかどうかだと思います。
浄土真宗では、「悟る(さとる)」という字をあまり使いません。代わりに「覚 る(さとる)」という字をよく使うのも、その教えから来ているのでしょう。
また、住職が「覚った人」で、住職が信者に教えを説くということでもありません。
住職も、信者(=門徒。浄土真宗の信者の方を門徒と言います。)のひとりとし て、今、念仏の道を歩んでおります。
住職と共に同じ方向を向いて歩んでください。
親鸞聖人も、同じように念仏の道を求め、歩んで行く人々を「御同行(おんどう ぎょう)、御同朋(おんどうぼう)」として尊敬し共に歩まれて行ったのです。

浄土真宗「真宗大谷派」本山 東本願寺

東本願寺

"東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の本山で「真宗本廟」といい、御影堂に は宗祖・親鸞聖人の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。宗祖親鸞聖人の亡き後、聖人を慕う多くの人々によって聖人の墳墓の地に御真影を安置する廟堂が建てられました。これが東本願寺の始まりです。

東本願寺は、親鸞聖人があきらかにされた本願念仏の教えに出遇い、それによっ て人として生きる意味を見出し、同朋(とも)の交わりを開く根本道場として聖人亡き後、今日にいたるまで、門徒・同朋のご懇念によって相続されてきました。

親鸞聖人は、師・法然上人との出遇いをとおして「生死出ずべきみち」(凡夫が 浄土へ往生する道)を見出されました。人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしている人々に、生きることの真の意味を見出すことのできる依り処を、南無阿弥陀仏、すなわち本願念仏の道として見い出されたのです。

それは混迷の中にあって苦悩する人々にとって大いなる光(信心の智慧)となり ました。そして、同じように道を求め、ともに歩もうとする人々を、聖人は「御同朋御同行」として敬われたのです。

詳しくは、東本願寺のページをご参照ください。

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